まだビームが撃てない

レーザーはもう撃てる

海水の価値

 

海水ってあんなにたくさんあるのに全然価値ない

 

もっとも価値のない液体ってなんだろう? と思ってみると、海水かもしれない。とても多すぎるので…

俺は昔から「海水」に少しユニークさを感じ続けている。いくらなんでもあの液体は多すぎる…地球上に存在する液体を量だけでランキング付けするなら、海水が一位なんじゃない?

多すぎて全然価値がないよなあ、海水。ミネラルウォーターとかに比べたら、海水は本当に価値がないよ。多すぎるよ。意味がないよ…

意味がない、というのは言い過ぎかもなあ。海水アンチみたいになっちゃった

 

水筒に海水を入れてゴクゴク飲み干してやりたいと思うことさえある。海水を水筒に入れるのって、あまりに意味がないことだからすげーロマン感じたりするし。逆張り精神みたいなことでもあるかも

まあ、これからの人生できっと海水を水筒に入れたりしないと思うけど…

俺と水筒に海水を入れませんか? 水筒に海水を入れてくれる友達募集中

 

メルカリで「海水」で検索して海水売っている人いないかと思って調べたけど、いなかった。当然

楽天で検索したら、〇〇の天然海水   みたいな品名で、まあまあの値段で売ってた。絶対いらねーー

ペットボトルに海水をパンパンに入れて売ろうだなんて、おかしなことだと思いませんか

 

今日はこのくらいで勘弁してやらあ

川崎でした。

鏡って何色

友達が「鏡って銀色を連想するけど、実際はそこに映っているもの次第だよね」みたいな話を前にしていた

そもそも銀色を連想していなかった俺は「えっ!?」とおもったりもしたけれど

 

鏡は光を反射しているだけなので、鏡に何も写っていない状況を作るには真っ暗な部屋に鏡を置くしかない

その状況の鏡は何も写していないのは間違いないけど、暗すぎてその様子を俺は観察できないし

でも…

それこそが鏡の本当の姿かも知れないね。鏡の本当の姿は、一片の光も差し込まない真っ暗な部屋で見えるのかもしれないよ

 

えっ!?

 

車に乗っている人たちはどこへ…

 

毎日日記やる!とか言って昨日忘れてたのダサすぎる

でも昨日は本当に特殊な1日だったから、どうか、そんなに殴らないでほしい

というわけで   昨晩投稿しようと思ってたこと

 

「電車の車窓から見える家一つ一つ、すべて誰かが住んでいて、違う物語があるのか…」とよく思うけど、それを人に伝えたら「ありがちな感想だなあ」と言われたことあり

ありがちなのはともかく、俺のこの感動と絶望をわかってほしかった

 

なんなら、走っている車にさえずっと同じこと思うし

走っている車一つ一つ、運転手には目指している目的地があって、でも俺にそれを知ることはできないんだよなということ

間違いなく目的地があるのに、知る手段がないというところが熱い(表現合ってるのか)

知りたくても知れない、という何かに興奮することが多いのかも知れない

 

走っている車に追いついて、運転手を引き摺り下ろして「今からどこに行くんですか」と聞けば分かるのかもしれない

走っている車に追いつくために、脚力を鍛えればいいのかもしれない

 

川崎でした。

 

100円

 

自動販売機で100円出してお茶買ったけど、なんだかその時、久々に「100円を対価として失うことでお茶を手に入れた」と強く実感できた

そもそも自販機で100円で買えるお茶もちょっと珍しいんだけど。安い

 

漫然とお金を消費する機会が多少増えてきて、お金を使うことの実感や重さ?的なことが薄れてきているのを感じる

Kindleで続きものの漫画を買うときとか。これまでの全巻買ってきているのだから、新刊も買わなきゃ…という惰性的な感情で買ってしまうことが多く、そのたびに、惰性で買っちゃっているぞ!川崎!と強く感じる

もっと買い物をすることを重く捉えたい。お金を支払って物を手にいれるのがどういうことか。有形のものでも、無形のものでも…

 

でも、たまに「コンビニで駄菓子を買うぞ!!」の気持ちになったときに10円や20円で買えるお菓子を買うか買わぬか迷えているときに、ここで迷えている限りまだ俺は大丈夫…まだ俺は……とか、思ったりもするし

思ったりもするし…

 

 

iPhoneガラスフィルムが右下が剥がれかけていて、携帯のタッチ感動が右下だけ悪い。ストレス!

なら早く張り替えればいいんだけど、その手間を惜しんでなんとなく先延ばしにするそのだらしなさに「自分」を感じて、安心してしまう。どうして?

川崎でした。

 

号哭

 

号哭    というタイトルを書いたけど、もちろん関係ないし

 

日記! サイゼリヤに行ってきた。以前からサイゼリヤで大豪遊したいと思っていて、おなかパンパンになるほど食事できてよかった。ワイン飲みまくり。小さめのメニュー頼みまくり。想定の半額くらいで済んで、信じられないコストパフォーマンスの店だった

ミラノ風ドリアを頼めなかったなー

エスカルゴを食べたけど、あかにし貝とちょっと食感が似てたな。ゴリゴリしてた。生き物としての雰囲気もちょっと似てるかも。どちらも殻に隠れてコソコソして生きているという共通点がある

貝とカタツムリの悪口が出ちゃった

 

今日からまたしばらく、続けられるだけ日記を書こうと思う。書けないならかけないで、1行2行でも。今度は本当です

コソコソ生きていこうと思う

 

川崎でした。

刃牙の話で6割


すこしのあきじかんに動画編集ばかりの1日だった


先に動画を投稿する日付を決めて、どんなにクオリティが理想に届いていなくても必ず投稿する、という方式に戻した。YouTubeを始めた直後はずっとそうしていたんだけども

このやり方は(ダサい動画をお出しするわけにはいかない…!)と発奮する作用はあるけど、精神的なダメージは大きいので、どのようなタイミングでもオススメできるものではない

動画1本にどうしても10時間はかかるので、3日に一本だと1日に3時間は捧げないといけない。ゲームで遊んだりする時間はないけど、時に「締切までに動画を完成させる」というタスクに取り組むことにこそ、ゲーム的な楽しさを見出す日もあるよ


動画編集を少ししてから、合間に刃牙の好きや巻を読んだりしていた。地下格闘技場に連れてこられた後のシコルスキーは異様な迫力で描かれているよな〜とつよく感じるね。具体的に言うと、ジャックハンマーに連打を喰らわせている一連のシーン。刃牙シリーズは週刊連載ということもあってか「続きを気にさせる」という描き方をしていることが多く、物語のあらすじを俯瞰してみると明らかに変な箇所も少なくないけど、その勢いこそに連載当時のライブ感(?)とエネルギーを感じる

本部以蔵が先に日本刀で柳を切り付けておきながら「自分の鍛えた5体以外に信頼を置くその性根が悪い」みたいな説教しているの本当に意味不明だけど、あの辺りは絵が本当にかっこいいので納得してしまいそうになる


日記っていうか刃牙の好きなシーンの話やん。いい漫画を見つけたので、また近いうちにかきたいよ

川崎でした。

趣味としての自省


昼頃に「ムッ、あのことを日記に書きたい」と思ってたのに忘れてしまった


ゲーム実況の動画を編集するのは好きなんだけど、自分の声を好きじゃないと思うタイミングが増えてきて、ヤダなーと思う。自分の声なんてどうあっても好きになれないという人の方が多そうだし、自然な心の流れとは感じるけども

テンションが上がった時の笑い声とか、特に好きじゃないな。繰り返し聴いていると、編集に必要なエネルギー・ポイントがゴリゴリ減っていく。なんだか抑えたいけど、動画を撮ったり配信するときは飲酒して雑念を消そうとするので、出てしまうね

意識しなければ自分の自然な挙動は変わっていかないけど、そのせいで口ごもったりするから飲酒してリミッターを外す。ならば最初から自分の挙動に違和感を抱かないように思考を変えていくべきだな。飲酒の必要がなくなるし。だいたい、他の人は俺の声がどうとか、俺ほどにはいちいち考えないだろうし…。過剰な自意識が自分自身にどんどんブレーキをかけていくだけですね


またちょっとした自省を楽しんでしまった

川崎できた。