まだビームが撃てない

レーザーはもう撃てる

真面目に生きるか、あるいは…

 

日記を毎日つけるって言ってたのに、昨日は書いてなかったね。驚いた? この俺の不真面目さに。俺が一番驚いてるんですけども

本当に不真面目な人間は、己の不真面目さを自覚してないもの。俺は自覚してるから、その点で不真面目な人間よりは、一歩リードしていると思えませんか

思え

 

これからの生き方について考える機会があった。これまでの人生は本当に適当に生きてきたが、そう遠くないうちに通用しなくなるよなあ、とよく考える

真面目に計画を練って生きている人ですら、計画通りの幸福な人生を歩めることなど稀なのだから、不真面目な俺たちが幸福になるにはどうすればいいのか

よく読んでいた本の「計画的な人生などそもそもが不可能」という言葉が好きだった

個人的には「幸福のハードルを下げる」という言葉をよく胸に置いていた。寝床があって食べるものがあるだけで、幸せだなあと思えれば、それ以外の起きること全てがハッピーに思えるんじゃないかと

ご飯を食べる前に「いただきます」なんてわざわざ口に出して言うのも、なかなか必要なことだと思える。世の皆さんがどうかは知らないが、俺の幸福のハードルは意識しなければ上がり続ける。この二、三年は特にハッキリとした滑舌で「いただきます」を言うようになった

 

関係ない話になりがち

 

幸せのハードルを上げたままたくさん働いて幸せになるから、ハードルをさげてそこそこ働いて幸せになるか…どっちが自分に合っているんだろう

やっぱセカセカと動き回るのはやっぱり自分に合ってない感じがしてきた…。世の中のみなさんはみんなは体力があってすごい

 

↑ 午前中はこういうこと思ってて、ここまでは午前中の考え。体力が完全に少なくなっている今は、とにかくのんびりしたいとしか考えていない

いつどの瞬間も体力が100%あればいいのに。きっと明るくて楽しいことしか考えなくなる。今は体力が少ないので、昔の嫌な思い出などを思い出しそうになってる

こういう時は、猫を飼う妄想をして乗り切れ

 

川崎でした。