まだビームが撃てない

レーザーはもう撃てる

あなたの好きな作品


モンハン尽くしの毎日、生活は完全に崩壊…ということもないが、自律神経の働きがおかしくなっているのは感じる。日中は脳が妙に興奮しており、とにかく眠りが浅い


Twitterで流れてきた漫画。とあるゲーム作品の作者が亡くなり、その作品や作者への想いを語っているものを見た(プロ漫画家によるエッセイ漫画みたいな感じ)

漫画を描かれた方は、20年前に発売されたゲーム作品をず〜っと愛しつづけており、ゲーム画面を全てビデオに録画して食事中にも流したり、ゲーム内で選べるありとあらゆる選択肢の組み合わせを選んだり、とにかく愛していたんだという。ゲームがめちゃくちゃ好きな人って、そうなんだよね。クリアした後も、これ以上はもう何もないかも…と理解しつつも掘り進んでしまう

そこまで好きになれる作品があることが、それを人生の支えにしていたと言い切れることが、なんだか羨ましい


Twitterで見た他の人の話。これまた20年前のゲームをずっと遊び続けていた人のツイート。20年かけても手に入らなかったとあるキャラクターを、最近になってとうとう手に入れたのだという

その人のホームページを覗いてみると、最近更新されていたページでは、そのゲーム内の目に見えない数値を検証し、データとして数値化し、綿密な表を作って公開していた

その作品への凄まじい愛を目の当たりにした


俺にも大好きな作品が、漫画だったりアニメだったりゲームだったり映画だったり、たくさんあるのだけれど、できるならそれを更新していきたいなと考えてしまう

身の回りに昔の作品について「今の作品よりも昔の方がいいよな」という文脈でしか語らない人間がいて、そういった言動への反動かもしれない…ので、ちょっと俺の考え方も極端なのかもしれないが

そういう懐古主義的な「昔の方が良かった」という声に対して(いや、今の作品をマトモに見てないうちから言うてますやん…)と考えてしまうし、自らの価値観を更新できていないことの言い訳に「価値観が古かったのではなく昔の方が良かったから」という方便を使ってるんじゃないかと感じてしまう。自分の感性をあたかも「絶対的な良し悪し」のように話す感じも苦手だった

いや、別に価値観は(本人が望まない限り)無理に更新しなくたっていいだろうし、どんな思想を持っていても問題ないけど。俺がそういった考えの発露を目の当たりにして嫌な気持ちになっただけのことで…


ゴチャゴチャ言うとりますけども

俺の話だけど、大好きな作品に対する「もうこれを超える作品は現れないでほしい」という願望と「これを超える作品に出会いたい」という願望の両方があって、俺にとってはどっちも真実やねん

そりゃもうスンゲ〜作品に出会いたいけど、昔出会ったあの作品が今でもずっと好きで…と話す人の姿も、また美しく憧れを持ってしまう

どちらの姿勢が正しいとかそういう話じゃないのに、こんな不自然な思考を持ってしまう。さっき書いたような「昔の方が良かった」とひたすら語り続けるその姿勢に嫌悪感があるから、自分の中にある懐古主義的な面に拒否感を感じるのかも。誰の中にだって「昔の方がよかった」「昔のもののがよくあってほしい」という気持ちは、きっとあるのに


今日はまとまりのある文章が書けなかったけど、俺の心は少しまとまったかも。

あなたの好きな作品はなんですか。

川崎でした。