まだビームが撃てない

レーザーはもう撃てる

俺の脳がアクリル詰めの標本になったら

 

生体標本というものに、昔から関心があったのよ

 

学校の理科室にあるような、瓶の中でたっぷりのホルマリンに漬けられとる生物標本。自分が通っていた小学校にあった標本のラインナップは覚えていないけど、カエルの臓器?のホルマリン漬けはあったかな。母校でも昔はカエルの解剖実験とかやってたらしいけど、俺の世代ではとっくにやらなくなっていた

ホルマリンという薬品によって死骸の腐敗を防ぐ、というのはどういう化学的作用なのかは知らないけど、適切な処理を施せば劣化しにくくなり、ホルマリン液に浸かった死体は死後直後の姿のままを保ちつづけることになる。俺にとっては、これってすごく不思議なことなのよ

たとえば、とある1匹のカエルのホルマリン漬け標本がひとつあったとして! 標本となった個体であるカエルの、親カエルや兄弟カエルたちのことを考える。仮に彼らを親族カエルとしよう。親族カエルたちは死んだあと、遺体は鳥や虫や微生物たちの栄養となり、あるいは土に還って土壌を豊かにし、自然に還元される。それってすごく当たり前なことなんですけども

でも、その標本となったカエルだけは瓶の中で姿を保ちつづける。親族カエルたちはとっくに形を失くしているのに、標本のカエルだけが、劣化せずに永遠に…。まあ劣化しないとはいっても、わずかな振動やホルマリン液の化学変化とかで、ほんのりと劣化していくのだろうけど。それでも不思議だな。ほとんどの野生生物の死体は自然界で分解され循環していくけど、標本になったその一個体だけは、完全にその輪から外れてしまう。変なことだ

まあ、その標本もいつか用済みになったり廃棄される瞬間は訪れるし、人里離れた場所とかで放置されていた標本なら、何百年も後には風化して瓶が勝手に割れたりして、とにかくいつかは標本としての役目は終えるわけだな

 

う〜ん。でも、死体が分解されて自然に還っていようがいまいが、彼らの肉体を構成していた分子が地球のどこかに変わらず存在しているという点で、標本のカエルとそのほかの兄弟たちもそう変わりないのか。瓶の中にいるか、他の動物や植物たちを構成する栄養になっているか、そのどちらかでしかない。とにかく彼らを構成する原子は地球上にある、宇宙規模で見れば一緒のことか

姿を保っているかいないかで勝手に不思議がっている俺の世界観って、すごく小さい尺度のお話なのかも

 

数年前、岡山のとある標本博物館に行ったことがある。あらゆる動物の標本が展示されていて、スズメやインコの剥製から、大きいものはキリンやライオンの剥製まであった。剥製の獣たちはガラスの目玉であらぬ方を睨んでいた

展示物の中でも特にショッキングだったのは、博物館の初代館長の内蔵が、ホルマリン漬けで展示されていたこと。本人の遺書も公開されていて「法律が許す限り、私の肉体の全てを標本にして展示してほしい」という感じのことが書かれていた。館長アンタどんだけ剥製と標本が好きなんだよと思ったね

実際に展示されていた館長の標本は、本人の脳や肺や心臓とか。液体で満たされたアクリルの水槽に、それぞれの臓器が沈んでいて、それがかつて生きていた人間のものだと思うと、あまりにも不思議な感情に囚われる。享年89歳。脳が浸かっていた(というか沈んでいた)水槽の液体は黄色く変色していて、脳もなんとなくグレーで色褪せていた。元からそうだったのか、経年変化でそうなったのかは分からない

生きていたうちの89年間、この脳はひたすらに考えたり悩んだりとせわしなく働き続けていたのが、今は何も機能を果たすこともなく、ただただ水槽で沈んでいる。それって奇妙なことじゃない? この脳の中に、生きていた頃の館長が見た景色や感じた気持ちは、まだデータの破片として1ミリでも残っていたりしたのだろうか? 

人間が死亡したあと、血流が止まった途端に細胞はプチプチと破損していくというから、データとして再生可能な記録は、脳にはもう何も残っていないかもしれないけど。それでも、この脳で館長は人生のすべてを記録して、あらゆる情報を処理してきたのは事実。そして今は水槽の中に沈んでいるのだ

この奇妙な感情を言葉にする技法が、今の俺にはない……

 

という気持ちをかつて人に話したら「そういうことを不思議に思う感性を大切にしたほうがいいよ」と言われた。ありがとうって気持ちだよ、その言葉には

 

少し趣旨が変わるけど、標本を取り扱う通販専門サイトに「小動物の脳のアクリル詰め」というものがあった。アクリルの透明樹脂の中に浮かぶように、小鳥や魚の小さい脳が固定されている(考えようによっては悪趣味な)標本が販売されていたのよ

欲しいかどうかと言われたら悩むところだけど、関心はある。人生きていたころには小動物なりに考えたり悩んでいた脳が、形を損ねることなくアクリル樹脂に詰められているその様子。なんだか、変なことだな…。変だけど、やはり気を惹かれる

俺は魂というフワ〜ンとした存在をあまり信じていなくて、脳にほぼ全てが宿るという傾向に考えてしまうので、これはほぼ彼らそのものをアクリルに詰めていることなんじゃないか、と思ってしまう。だから悲しいとかじゃないよ。脳は体を構成するユニットの一つでしかない、というのもまた事実だし

通販サイトで彼らの脳セットは2万円とか3万円とか、そのくらいの価格だった。安いのか高いのかも分からん…。標本としてはかなり小さい部類でもある。脳の持ち主である本人たちに価格が妥当かどうか尋ねたいけど、残念ながら彼ら(あるいは彼らを構成するユニットの一つでしかない脳)はアクリル詰めになっていた

 

もし俺の脳がアクリル詰めの標本になったら、いくらで買ってくれますか?

 

川崎でした。