まだビームが撃てない

レーザーはもう撃てる

虎眼が心の平衡を取り戻すのは秋から冬にかけてが最も多い


激・飲酒状態につき、精神が曖昧


友達がブログを始めようかな、という感じの状態であり、やりたまえよ。と進言した。思えば彼の書く長文というものは見たことがなかった。LINEとTwitterとかでの短文は見たことあったけど

3行や4行以上の文章を書こうと思えば、自分が設定した結末に向かって書こうとする努力が必要になると思う。そうでなけらばならないとまでは思わないけど、大抵の人なら、公開ブログでは読み手のことを意識して書くんじゃないだろうか。その文体にらその人なりの「努力」が出てくる感じがする

俺は文体からその人の内面を読めるほど俺は達者ではないけど、人の文章の書き方には、自分のありのままを出そうとしているのか、人を喜ばせるためなのか、頭が良く思われたいのか、そういったものがジワ〜ンと出てくることがあるように感じる。内容じゃなくて、書き方にね。感じるだけで、大概は俺の妄想あるいは邪推ではあるのだろうが、感じずには、考えずには、いられないよね

友達が文章を書いたとき、どんなものがジワ〜ンと浮き出てくるか気になるな。その時おれが感じるものは、俺の妄想でしかないかもだけど


精神が曖昧なので、あまりまとまった文章が書けていない気がする

精神が曖昧、という表現がすごく好きで、これは漫画「シグルイ」で登場する語句だった。江戸時代、剣の腕に全てをかける男たちの漫画、それに登場する老剣客の岩倉虎眼。彼の精神状態を表現するときによく使われる言葉。彼の剣の実力は作中トップクラスで、人智を超えた実力を持つけど、老境からか精神的な均衡が崩れているので平日は「曖昧」な感じで過ごしている。池で飼ってる鯉に生のままかじりついたり、いきなり失禁したり。でも、たまに正気に戻ってマトモなこと言ったりする…かと思いきや、元の性格もきわめて熾烈なのでとにかく暴力的だし、曖昧のままのほうがマシかもというレベル。でもね〜そういうところが愛らしく、魅力

1巻後半の「虎眼が心の平衡を取り戻すのは秋から冬にかけてが最も多く、持続時間は長くて半日」というセリフが好きだったな。シグルイはこういった、本編にはまったく関係してくることのない細かい情報がよく出るのが好き

好きな漫画の話になると早口になってしまう


これ、日記って感じじゃないな。今日は趣味の音楽を進めて、すこし疲れたらモンハン。自分が作ったものを音楽として客観的に見ると、あまりいいものではなさそうだけど、生きているうちに、体力があるうちに、自分に作れるものとか、形にしたいと思えるものは形にしてみたいと少し思えた

人に聴かせたら、良かったよ、と言ってくれて、その言葉だけですこしやっていこうと思えた。単純だけど、言葉にならない自分の心の部分を見れた気がした

誰かが何かを始めようとして、しかし怖がっているようなときに、背中をやさしく押すことができる人間になりてーよ


川崎でした。